ウェブ開発を始めとした様々なジャンルにおいて、その有用な文書の多くは日本語以外で書かれている。幸いなことに多くの人がその翻訳を公開してくれている。僕も自分が強く興味をもった範囲で訳したりもしている。良い時代だなと思うが、その翻訳がブログの記事として公開されてしまうと、「んんっ?」と思ってしまう。

もちろんブログが技術文書のようなものを読みやすいデザインじゃないこととか、そのブログのスタイリング上の制限によって元文書から一部情報が欠落する可能性が高いこととか、そういう実際上の問題もある。そういった問題だけでなく、翻訳はあなたの記事ではないし、そうは成りえないということがある。それをブログの記事として公開してしまうと、様々な悪影響があると思う。

よくあるパターンは翻訳の前に訳であることの明示と同時に訳者の意見が書かれているパターン。前置きとして訳者の意見があったりすると先入観を読者に与えてしまう。ただでさえうまく元文書のニュアンスが伝わらないことが多い翻訳では、なるべくまっさらな状態で読んでもらうようにした方が良い。

となると、ブログで公開する場合には元文書を訳したそのままで記事として公開することになるわけだけど、それだとあたかもあなたが書いた記事のように公開することになってしまう。そう誤解させないために元文書へのリンク等を追加したとしても、そのブログでの扱われ方は明らかにあなたが書いた記事であるし、そうでないようにするのはとても難しい。

また、翻訳に興味を持ち読もうとする人と訳者のブログの読者とは、一部重なるとは思うけど大体においてかなりの違いがある気がする。訳を読みにきた非ブログ読者達にブログの他のページや過去ログへのリンクを提供することには一定の意味と価値はあるけど、それは読者の翻訳への没入度と引き換えになる。グローバル・ナビゲーションや(きっとあるであろう)訳者のTwitterへのリンクなどもそうだけど、場合によっては前の記事へのリンクとして元文書とまったく関連性のない記事が出てくることもあったりする。そういった要素は、訳者のブログのアピールにのみつながる要素でしかない。

一昔前とは違って、今は自前でドキュメントをホスティングしなくても、低コストで静的なドキュメントをそのまま公開する様々な手段がある。それらを使って独立した文書として公開すれば、できうる限り元文書から逸脱しない形で翻訳を読んでもらうことが出来るのではないだろうか。


そんなわけで唯一ウェブログで公開してしまったBulletproof @font-face Syntaxの翻訳を、独立した文書にしたりした。