デザインの当たり前について疑義を投げかけるエッセイを5本収録した本だ。スイスのFuturessというオンライン・プラットフォームで公開されている記事から選ばれたものらしい。どこかで「シンプルが“良い”とされるデザイン規範」への批判があると紹介されていた。あまり批判されない部分なので気になって買う。なお普通の本屋やAmazonでは売っていないので、近場の取扱店に確認するか、公式オンライン・ストアで買うのが確実だ。
「デザイン」とくくりが大きいが、どちらかというとデザイン界隈の構造的な欠陥を指摘し、その再定義を目指す活動の紹介なんだと思う。今の日本での「民藝」なるものの扱いへの違和感に通じるところがありそうだ、と感じた。改めて常に何かが見えない、または多くが見えていないと強く意識していくことが、作り手としても使い手としても大事だと感じる。そうなるとデザインの修正や調整のしやすさということも鍵になるのかもしれない。
スマフォ・リングを付けたくて付けているわけではないというのは知らなかったし、成功したように思えるスカンディナビアン・デザインがそれ以外のデザインを封殺しているとは思わなかった(うまく取り入れているものだと思っていた)。「Stop Asian Hate」運動の急速な収束が少しわかりやすくなったし、構造的な問題に起因する流動性の低さは日本の都心と地方にも通じると思える。「カワイイ」他については震源地の国にいるので、世界での扱いと多少ずれがある。それでもその文化の力強さが、何かを糊塗する(エッセイでは「Pink-Coated」とされている)ためにおおいに利用されているというのは、震源地では気付きにくいのかもしれない。
サーミのデザインプロダクトは、サーミ以外の消費者からの期待や好奇の目に晒されたりすることなしに販売されるべき
2つ目のエッセイでの、この文が印象的だった。本来の民藝はそう販売されていたものだったが、今は都市生活者が暮らしを作り上げる小道具として売られている。これは彼らのよくわからない期待の表れだろう。また「アール・ブリュット」のことも思い出す。日本ではほぼ「障碍者アート」になってしまい、他の芸術作品とは同列に扱われることはなくなってしまった。こちらは好奇に寄ってしまっている、そして自身でも無意識に好奇の目で鑑賞していないかと不安になる。
具体的に何をどうこうするというような方向性を示唆する本ではない。新たな視点を得られるというものでも当然ない。常に見えない何かがあることの例を、身近なものから世界的なものまでいくつか露わにしてくれる。それをどうとらえるかは読者次第だろう。
本はパスポートくらいの大きさで、1ページに横書きで29文字29行がびっしりと埋まっており、薄い(90Pで5mm弱の厚さ)割には読みごたえがある。白地に青文字(#4a09f4
)はちょっと苦手だが、Futuressのスタイルを踏襲したのだろう。まえがきによると続き、というか別のテーマでの新刊も期待できるらしい。2作目に期待しつつ、この出版社の出している雑誌も読んでみたい。大元のFuturessの方も暇を見つけて読み始めている。