民主的なデザイン

インターネットの普及に伴い、ユーザーのフィードバックを得る敷居は格段に低くなりました。しかし、そのことはあまり良くない結果をもたらしたと言えるでしょう。

例えば多く寄せられる似たフィードバックへ素早く反応すること自体は良いことです。しかしそのことは多数決に基づいて場当たり的にデザインの決定が進められることになってしまいました。またユーザーの無意識のフィードバックを利用し、ユーザーが意識できていない問題を解決することができます。これも実際にはグロースハックのような形でウェブサイトやアプリケーション自身のために利用されています。

フィードバックはそれに含まれるユーザーの潜在的な欲求をくみ取ることが重要です。そもそもフィードバック自体があるユーザーが抱える問題の本質を正確に表現したものではなく、問題の象徴的な一面が述べられたものにすぎません。それからユーザーの潜在的な欲求をくみ取り、デザインに反映させることでようやくユーザーの支持を得られるわけです。

こういったユーザーを中心に据えたデザインは様々な呼ばれ方をしています。そのひとつがデモクラティック・デザイン、すなわち民主的なデザインです。

Outrospection(他者観察)

デモクラティック・デザインという言葉を使っている企業のひとつであるIKEAでは「みんなのためのデザイン」とされています。民主的とは人々が自由で平等であることと言うこともでき、「みんなのため」とはなかなかうまい表現でしょう。

元々デザインの世界ではデザイナーがデザインの有用性を証明してきました。専門家であるデザイナーが、仮想的なユーザーの内省、すなわち自己観察のプロセスを想像し、それに基づいてユーザーの潜在的な欲求を言葉にすることによって行われてきたということです。このやり方ではユーザーを想像することはあっても、実際に観察することはあまりありません。

20世紀後半に入って、ユーザーへのアンケートやインタビューがよく行われるようになりました。それらがデザインの過程に組み込まれることで、製品はより人々の支持を得られるようになったと言ってよいでしょう。そのことはユニバーサル・デザインの急速な浸透と拡大に見ることができます。

そして最近では内省や自己観察を意味するintrospectionと対になるoutrospection、すなわち他者観察という言葉がデザインの文脈では生まれたそうです。インターネットの普及によるフィードバックの低コスト化で他者を観察することが容易になった結果、こういった言葉が生まれたのかもしれません。

他者であるところのユーザーにより提出される大量のフィードバックは大切なものです。その中には非ユーザーへのリサーチのような想像上のものも、ウェブサイトにおけるヒートマップのような無意識のものも含まれます。しかしそれらをそのまま受け取り、そのまま対応するような利用の仕方では、この文書の最初で述べたような自由と平等とはほど遠いところへ着地する結果になってしまいます。

多く寄せられるフィードバックを俯瞰することで、ユーザーと感情を共有することができます。もちろん自意識を抑制することなどいくつか条件はありますが、それほど難しいことではありません。感情を共有した時に初めて見えてくるユーザーの潜在的な欲求こそが重要なのです。それが他者を観察することの目的だと言い換えてもよいでしょう。

そういった潜在的な欲求を満たしたデザインは、特定の誰かのためのデザインではなく、多くの人へ平等な、すなわち民主的なデザインになりえます。

民主的なウェブデザイン

私はこの民主的なデザインというものをどうすればウェブデザインへ適用できるかに強い興味を持っています。まずウェブサイトの制作に使われる最も典型的な手法としてCSSフレームワークのことを考えてみました。CSSフレームワークが民主的なデザインであるかどうかは、そのユーザーをどう規定するかで変わってくるようです。

単純にはウェブデザイナーがユーザーであるととらえることができます。CSSフレームワークがもたらす再利用可能で組み合わせ自在のコンポーネントやウィジェットたちはウェブデザイナーの求め続けてきたものです。仕様や実装から自由で、ウェブデザイナーの力量に左右されず平等である、そういった点ではまさに民主的にデザインされたものであり、ウェブデザイナーというユーザーの支持を得られるものではあることでしょう。

対してユーザーを実際にCSSフレームワークを利用して作ったウェブサイトのユーザーとするとどうなるでしょうか。

この場合CSSフレームワークがもたらしてしまう画一されたその見た目は、ウェブサイトのブランディングを失わせます。それは平等であるわけではなく、単に無個性なだけです。それなりに使いやすいものであることや低コストであることはクリアできるかもしれませんが、それだけだとも言えます。

今のところCSSフレームワークはささやかに使うということはできません。つまりその存在を隠ぺいすることはできません。またそのコンポーネントやウィジェットはウェブデザイナーの実装上の都合を優先してデザインされたものです。そのことはウェブサイトのユーザーが自分たちを考慮してデザインされていないものと触れ合う必要があるということにつながります。

これではとてもウェブサイトのユーザーに支持されないでしょう。今のCSSフレームワークは民主的なデザインと言えないことはないですが、そういった意味では民主的なウェブデザインが可能な仕組みではありません。

つまり民主的なウェブデザインのためには、ウェブサイトのユーザーを観察することだけではなく、それが可能な仕組みやツールを選定し、採用することも重要なのです。ちょうどIKEAのウェブページで述べられているように、家具のデザインにおいて原料である木材を伐採する枠組みや木材を加工する工場の改善が大切なことと同じです。

まだそういった仕組みやツールは少ないことは確かです。またそういった仕組みやツールを間違って利用している例も後を絶ちません。しかしCSS Custom PropertiesやローレベルなCSS API、そしてReactといった実装により今後数年で劇的に変化することになるでしょう。

その一方でAppleのNewsFacebookのInstant Articles、そしてGoogleのAccelerated Mobile Pagesといった広義ではウェブデザインととらえられる劇的な変化をもたらしかねないアプローチも登場しました。これらをユーザーに新たな選択肢を与えるという点から考えると、ユーザーへ自由をもたらすと考えることもできるでしょう。CSSフレームワークとは反対に、民主的なデザインとは言えないが民主的なウェブデザインを行うことが可能だということです。

いずれにせよウェブサイトの制作に関わる様々な事象も含めてユーザーを中心に置いて考えていく必要があるのではないでしょうか。そこまで考えて初めて民主的なウェブデザインとすることができそうです。

機械の台頭とユーザーの変質

ウェブデザインからデザインというレベルに戻すと、劇的な変化はフィードバックの部分でこれから起こる、既に起こり始めていると考えられます。今までのフィードバックはこれからビッグデータに取って代わられることでしょう。そしてデザイナーしかできなかったそれらの俯瞰は、機械学習へ任せることができるかもしれません。

しかしビッグデータにより判明した位置へレジを移動させただけで売り上げが上がったなどという都市伝説があるように、それがもたらすものは利益であって、自由と平等ではないかもしれません。それは(まだ)ビッグデータや機械学習がユーザーと感情を共有していないからです。ビッグデータや機械学習に基づいたデザインは金銭上は効果的なものではあっても、ユーザーの感情を害するものかもしれないということになります。

このことはビッグデータや機械学習の否定にはつながりません。なぜならばそれらがはじき出したデザインをデザイナーによって精査することが可能だからです。場合によってはユーザーを使って実証実験を行うことも可能でしょう。技術の進歩は様々な可能性をもたらしています。

その一方で技術が変化していく以上、直接的なユーザーが機械であることも考えなければならないかもしれません。自動運転が前提の社会ではそれに向いた都市や道路のデザインがきっとあることでしょう。既にそのような兆候を持つ分野があることは言うまでもないはずです。そういった場合にはビッグデータや機械学習のような無機質な仕組みの方がより優れたデザインを生み出す可能性は高いでしょう。


実際に民主的であることは非常に難しいことです。潜在的な欲求をくみ取ったつもりでそれを満たす実装を行ったとしても、また別の問題が発生することもあります。そうなってしまうのはユーザーという総体を意識していないからでしょう。特定のユーザー(クライアントと言いかえても良いでしょう)へ入れ込むのではなく、フィードバックを俯瞰することで様々なユーザーと感情を共有することができ、みんなのためにデザインすることが可能になります。

幸い、ウェブの世界では様々な形でささやかでひそやかな実験を行うことができます。古き良きアンケートやリサーチにこだわらず、様々な形でフィードバックを積極的に得ることで、民主的なデザインへつなげていくことができるはずです。今この時点で役に立たなそうなフィードバックであってもいずれ必ず適切な形で処理することができます。謙虚にそれらと向き合うことが大切です。

神ならぬ私たちには未来を創ることはできません。しかし現在を懸命に理解し、それを自由で平等なやり方と形で現実へ還元することはできるでしょう。