対にならないかぎかっこ

最近、少し古い小説を読むことが多い。古いといっても1970年くらいのものだが。そういう中でよく対にならないかぎかっこがあることを今さら気づいた。なんとなくは見かけた記憶はあり、単なる落丁かと思っていたが、ちゃんとした理由のようなものがあるようだ。

具体的には以下のような文章だ。

「こんにちは」彼はそう話しかけてきた。
そういえば、近所の公衆電話が移動したことはご存知ですか?」

ある人物の会話文があり、その説明をする文が続き、更に同じ人物の会話文が続くような場合ということになる。このような場合は2つ目の会話文の開きかぎかっこを省略されていることがある。

「こんにちは」彼はそう話しかけてきた。
「こんにちは。まだ桜は咲きませんね」僕はこう答えた。

このように人物が変わる場合にのみ開きかぎかっこを使うようだ。開きかぎかっこの有無で会話文の主体を示しているということなのだろう。


僕がそう推測しているという話で、実際にそういう規則なのかどうかはよくわからない。単なる慣例なのか、著者(や翻訳者、または編集者)の癖なのか。