コンテンツの責任

Responsibility of Contents

POSSEのようなやり方は主にコンテンツの所有権を明確に自分に帰属させようという目的を持って選択される。所有権の明確化は、同時にコンテンツの責任が自分にあることも明確にされることでもある。逆に言うとPOSSEのようなやり方が流行らないのは、そういった責任を放棄したいと考えている人が多いからなのかもしれない。

コンテンツに対しての責任はその提供者が持つべきものではある。しかし味方よりも敵の方が圧倒的に多いインターネットでは、責任を持つことを前提にするとかなりの覚悟や諦めが必要になる。揚げ足をとられて終わりくらいならまだ良く、大抵の場合は注目されたらどんな羽目に陥るかわかったものではない。

投稿したコンテンツがすぐに消えたりそのうち消えるようなサービスが人気を誇る理由もこのあたりにあるのではないかと考えている。利用しているユーザーがコンテンツの責任についてどれくらい意識しているかはわからないが、少なくとも公開され続けることによるリスクを負いたくないと思っていても不思議ではない。

責任がとれそうもないことを投稿・公開することが間違っていると言えばそれは確かにそういう面もある。しかしそれはリスクをまったく負いたくない年寄りの論理と言えるとも思う。違う世代の新しい媒体での行動に、自分の世代の古い媒体での行動基準で否定するのはナンセンスだ。


でも僕が半ばPOSSEのようなやり方を通しているのは責任がどうとかではない。フローで流れてしまう場に自分の意見らしきものを投稿するのは、言いっ放しになりやすく好きではないというような理由に過ぎない。