ウェブログが再評価されていることの表れか、書くことについて書かれた記事を読む機会が増えた。そのひとつの「ブログの記事書くときに気をつけていること」を読んで、僕もいくつかあるなーとか考えていた。「消さない」以外だと大きいところで3つのルールがある。
一番気をつけているのはタイトルだ。内容がパッと見でわかるキャッチーなタイトルにしたい気もするのだけど、そうするとどうしても先入観を与えるのでミスリードを誘発する。近年はどうしてもソーシャルブックマークやニュースアプリ経由での流入が中心となるので、先入観を与えてしまうとがっかり感で終わるユーザーも多くなる。この記事も「ブログ記事に不要な3つの“ない”」といったタイトルに出来そうだけど、しない。
ただどのようなことについて書いてあるのはそれなりにわかりやすい必要があるので、それだけは最初の段落を併用して書く。最初の段落はおおまかに概要として機能するようにも気をつけている。
予防線を張ると何かに負けた感じがするというのもあるのだけど、張っても意味がなかった例を数多く見ているので、効果的でなく面倒くさいという気持ちがある。また書きたいことを自由に書きたいという気持ちが強くあるので、どうしてもそういう本質的でない部分に時間を割きたくない。「個人的には~」とか「誤解を恐れずに言うと~」とか書いてると悲しくなる。
確信が持てないことや少し突っ込んだ話をする時は、全般的な書き方で調節している。書きたいことをズバッと書いて予防線につなげるというような書き方ではなく、書きたいことを包むように少し距離を置いた書き方をするといった形だ。基本文体の「であるだ」にカジュアルさを混ぜるような形でゆるさを出したりとかもそれだ。
ウェブでの文章は流し読みされるのが普通で、行間に意味を込める前提で書くと空虚に感じられる文章になりやすい。それはそれで味があったりもするし、行間に書かれたことがわかると「なるほど」となるので面白いとは思うが、読者にそこまで求めるのは少なくともウェブログという媒体には合っていないと感じる。そのためくだくだしくなることを恐れずに言いたいことを文章として書いてしまうようにしている。
どうしてもあからさまに指摘したくないような事柄は、写真やイラストで間接的に表現するようにしている。技術的な話ならコードになる。つまり行間ではなく段落間のブリッジで指摘する。そうすれば読者の理解も自然なものになるはずだ。
この3つのルールは、最後まで普通に(頑張らずに)読んでくれる人を意識して記事を書く、ということだ。それ以外の人を考慮すると考えるべきことが多すぎて、書くことそのものよりも考慮することに苦心することになってしまう。ウェブログのような場ではもっと著者は自由に表現した方が楽しいし、それが継続につながる。
また、ウェブログの読者も正確な知識などではなく、その著者の考えを知りたいという傾向に変わりつつあると思う。(刹那的で)正確な知識や情報はウェブログ以外(TwitterやStackOverflowなど)にあることが多い時代なので、これは必然的に求められた変化でもある。そうなると普通に読んでくれるそういった読者には、やはり著者の自由な裁量で書かれた記事の方が良いことになるだろう。
他はたまに書くとかになると自分のブログの立ち位置的なものを見失いやすいので、やはりなるべく間を置かず書くことだ。そうすれば文体のゆれや言い回しの違和感といったものが敏感に感じ取れるようにもなる。今はもう毎日のことなのであんまり関係ない感じではある。