誰かのためにデザインすることはとても重要だが、それは閉鎖的で個人的な場面で使われるもののデザインにおいてだろう。公共の施設やウェブといったオープンな場面では、誰にも自由で、誰にも平等であることが理想であるはずだ。これを民主的であること、とすると多数決社会を思い浮かべてしまうかもしれないが、人という総体のレベルで自由で平等であることと言っても良い。そういった意味での「民主的な」デザインとは何なのかというイメージを文章にまとめた。

オーガニックやフェアトレード、エシカルといった言葉がオシャレワードになってしまって久しい。そのことを批判的にとらえ、鼻で笑うのは簡単だ。しかし、これらの言葉に含まれる自由や平等、つまり民主的であることは鼻で笑ってはならない。こういったオシャレワードを避ける(またはあえて使う)のは戦略として悪くはないが、自由や平等につながる要素を見逃してはならないと言いかえても良い。

そんなこんなでアクセシビリティーという言葉を意図的に避けてきた1年だった。ウェブでのアクセシビリティーはもっと機械的な解決を探るべきだと考えていることもあったが、負債の少ない世界であるのでもっと気楽にHTMLくらいまででやっていれば良いと強く思うようになった。手遅れになると考える人もいるかもしれないが、僕は技術の進歩の方が速いだろうと楽観している。


冒頭にあげた引用は、フランク・ロイド・ライトが各所で行った講演や書いた文書をまとめたライトの家(原題: The Natural House)からとった。家の中で長い時間働く主婦という存在が生まれたアメリカ、そんなアメリカに住む人々のための家はこうであるべきというライトの実践を言葉にしたものだ。