翻訳ままのウェブサイトを、著作権というかっこうの武器で気軽に批判する人は多い。アメリカのコンテンツに関してはフェアユースという概念があるので、翻訳ままを自分のコンテンツとして公開することが問題のある行為だとは言いきれないと思う。批判する人たちは、単純に労力はあれど何の努力もなさそうな翻訳ままのウェブサイトが人気があるというのが気に食わないだけなのではないか。

著作権を尊重することはとても大切なことだけど、それによって失われるものももちろんある。仮にフェアユースという概念がなかった場合、翻訳したいのに翻訳の許可が出ないということも起こる。また翻訳の許可が出るまでに時間がかかって、翻訳するモチベーションが大きく低下する、または読者の需要が減るということもよくある。

翻訳ままのウェブサイトを、著作権をないがしろにしていると批判するのは間違っていないけど、インターネットのような常に沙漠で針を探すことを強いられる場では、そういったウェブサイトがコンテンツの発見性において果たす役割は大きい。もうちょっと温い目で見守ってやっても良さそう。

もちろん僕もそういったウェブサイトは嫌いだけど、それでトラフィックや利益を得ていること自体が嫌いなのではない。それらを読むだけで終わってて、どういうコンテキストで書かれたのか原文や原文の載っているウェブサイトを読んでみようとか、そういう視点に欠ける人たちが嫌い。そしてそれらを助長するような訳し方や公開の仕方を駆使する人たちが嫌い。CSSフレームワークが嫌いなのと似てる。

気持ちの良い正論で、そういったウェブサイトを批判したり、叩いたり、潰しても、誰も何も得るものはない。


フェアユース規程については日本でも検討されているらしい。しかし、3年程特に動きはない。