23年モノのTシャツ。

遺品の整理をやっているわけだが、親(や多分配偶者)のものにはまったく価値が見いだせなくて、捨てるしかどうしようもない感じだ。思い出が多少あるものがあっても、明らかに着ることのできない洋服だったりする。袖が足らなかったり、ウエストが10cmくらい余ったり。

サイズが問題にならない鞄類は取っておいても良さそうだったが、あまりきれい好きではなかったため、酒のシミや匂いで厳しかった。唯一、一澤帆布のトートバッグは大丈夫そうだったので洗濯して使うことにした。あとはスーツケースか。服もカシミアのニットだけは貰って着ようと思う。


多くの場合物の金銭的な価値は買った時点で失われ、利用価値と利用に伴う思い入れだけになる。最初の画像は僕が高校生の頃に買ったTシャツでなんだかんだで23年着ている。購入当時既に古着だったので、最低でも30年物くらいだと思う。だからといっても特に価値があるわけではなく、着やすいわけでもない。色は悪くないけれど、悪くはない程度だ。穴でもできない限りは捨てることなく毎夏着ることだろう。でも僕が死んだら間違いなく捨てられる。

いつ死んでも良いように身の回りのものを極限まで減らすのは馬鹿げていると思うけれど、明らかに遺族に負担がかかりそうなものは出来うる限り整理しておくくらいの気は使っても良いのかもしれない。服とかは捨てるのがまぁまぁ大変(そもそもまとめるのが大変であるとか、うちの自治体では雨降ってると出せないとかある)なので、着ないものはなるべく整理しておいた方が良さそうだ。

趣味のものについてはどうしようもないので、その整理に余力を残してやるためにも……という意味もある。生前にどうにかしろとか言うとケンカどころか警察沙汰になりかねないのでやめた方が良い。ようやく5万枚のデジタル写真の処理が終わって、あとは50PくらいあるB5サイズのアルバム30冊とスライド化されている3万枚くらいのネガの処理に移る。


葬式直後くらいから何回か「不要な服や靴を無料で回収いたします」という主旨の電話が頻繁にかかってくるようになった。葬儀屋か火葬場、市役所あたりから伝わる謎のネットワークがあるのだろうか。